らくちんに生きたもんがち。 楽しくなくっちゃ意味がない。 そんなねこまたの生きる道。
“こころ”が先か“行動”が先か #4 ++ Attitudes follow behavior ++
2008年07月08日 (火) | 編集 |
『Attitudes follow behavior :
  “こころ”は“行動”に従う
  “行動”は“こころ”に影響を与える』


 3.悪魔の誘惑

「一度も悪い事をしたことがない、
 というヒトを探すより、
 一度だけ悪い事をした、
 というヒトを探す方が難しい。」

いけないと思いつつも
一度悪い事をしてしまうと、
そこから先は、簡単に
より悪い方へとエスカレート
しやすい。

例えば。
“罪のないヒトを
 コトバや行為で傷つけること”
は、
相手に対して
“こいつが悪いんだ
 だからこう扱われても
 しかたないヤツなんだ”
といった感情を
引き起こします。
この感情によって
自分の行為を正当化するんです。
正当化されてしまえば
後は簡単。
“だってあいつが悪いんだから
 仕方ない。

ヒトは
“嫌い”だから“傷つける”だけでなく
“傷づける”から“キライ”にもなるんです。


興味深い実験があります。
(すっごく長い、です〜
NHKでも番組として
取り上げた事もあるようで
ご存知の方も
いるかもしれません。
「青い目 茶色い目
  〜教室は目の色で分けられた〜」
というタイトルだったようです。
(元の映像では
 A Class Divided とか 
 Class Was Divided とか…

1968年、
アメリカのアイオワ州ライスビルという
白人でクリスチャンばかりの街の小学校で
人種差別についての
実験授業が行われました。

キング牧師の暗殺後も
当たり前のように存在する差別。
「子ども達を差別意識という
 ウィルスから守りたい」
と思い続けていた
3年生担任のジェーン・エリオット先生は
「子ども達に差別意識をもつということは
 どういうことなのか、を教えたい」
と、クラスの子ども達を対象に
実験授業を行いました。

いつも優しくて
子ども達の大好きな
エリオット先生が
「実は」
といかめしいカオで話し始めます。

「青い目の子は
 とても優秀なのです。」
「青い目の子は
 頭もいいし、性格もいいし、よい子です。」
「それに比べて、茶色い目の子は!
 ばかだし、のろまだし、ろくな人間じゃない。
 劣っているんです。」

先生の独断的な差別発言は続きます。

「だから
 青い目の子は5分余計に遊んでいいですよ。」
「茶色い目の子は
 水飲み場を使わないこと。」
「青い目の子は茶色い目の子と
 遊んではいけません、
 乱暴な子達ですから。」
「青い目の子たちは、
 前の先生のテーブルにいらっしゃい。」

子ども達はあっけにとられます。
最初は、はぁ?って感じに
かるーく反発したりします。
でも、あっという間に
すごい剣幕の先生に
やりこめられます。
「ほらね、
 茶色い目の子は
 すぐ口答えする」
とか。

だんだん、
心配になってくる子ども達。
「茶色い目でも
 頭のいい子はいるよ」
「あたしの親友は
 茶色い目よ、
 乱暴じゃないわ」
反抗したり涙ぐんだり。

それでも
先生は容赦しません。
さらに、差別的な発言を
たたみかけます。
そして、茶色の目の子達に
その象徴として
黒い襟(スカーフ?)を
つけさせます。

初めは
茶色の目の子を
いたわったり、
先生の言動を肯定しなかった、
青い目のこどもたちですが、
15分もすると
茶色の目の子を見下し始めます。
先生と一緒になって
「茶色の目は劣ってる」
とみくびり始めます。
なじったり、からかったり
平気でひどい仕打ちを
するようになります。

反対に茶色の目の子は
初めは反発していても
「劣っている、ダメなコだ、悪い子だ」
と繰り返されるうちに
どんどん萎縮し、自信をなくし
反発することもなくなり
自分でそういうレッテルを
うけいれてしまったかのようです。
普段はできるような問題も
上手くできなくなってしまいます。

これを丸一日続けた翌日
先生はこういいます。

「実は」
「昨日の先生の言った事は
 間違いでした。
 本当は茶色の目の子が優秀で
 青い目の子がダメな子なんです」

昨日の今日です。
はぁ〜???
って思いそうなもんですが。

子ども達は
ただグループが入れ替わっただけで
昨日のコピーのように
優秀と言われたコが
劣っていると言われたコたちを
徹底的に差別してしまいます。

授業では
この二日間を終えたあと
コドモたちに
これは実験だった、と。
ダメな子なんていないのよ、と。
そして、
差別されるってことは
どんなだった?
差別について
どう思った?
というところに、落ち着きます。

この実験授業の目的は
子ども達に
差別されるというのは
どういうものなのか
実際に体験させ
こころの深いところで
差別はいけない、ということを
理解させる、ということで、
心理学の実験としての授業ではありません。

それでも、
この実験授業からは
いろいろなことを
考えさせられます。

・正しくないと思っている事も
 一度、手をそめてしまうと
 簡単にエスカレートしてしまう。
(特に、この授業では
 外部から(先生から)
 あなたは悪くない、むこうが悪い
 という状況を与えられているので
 より自分を正当化しやすく
 エスカレートするのにも
 時間がかからなかったのでは…

・ジンバルドーの監獄実験でも
 みられたように
 設定された状況の中で
 そのようにふるまうことで
 こころは容易に変化してしまう。

・差別、は
 ある特定の性質をもつヒトが
 してしまうことではなく
 だれでもその要素を持っている。

・何を差別するかという条件は
 自分の中に存在するものに限らず
 自分の中にその概念が存在しなくても
 外からの圧力で与える事ができる。

・自分が痛い思いをした経験があっても
 ヒトの痛みに目をそらしてしまうことがある。


この授業のとっかかりで
先生が子ども達に
「差別って知ってますか?
 どう思いますか?
 差別されるヒトのキモチ、
 わかりますか?」
って聞いてます。
子ども達は
表面的には、差別はいけない、
とか言います。
「ほんとに、
 差別されるってどんなことか
 わかってると思う?
 じゃ、例えば
 肌の色で差別されるって
 どんな感じか、
 実際に試してみるのはどう?」
ってなこと、
言ってるんですよね。
子ども達は
「イェー!」
なんてはしゃいじゃって。

にも関わらず
子ども達は、
これが実験だと
試してるだけなんだと
そういう感覚が
あっという間に抜け落ちています。
ジンバルドーの実験でもそうでしたが
単なるお芝居だったはずが
いつの間にか
現実にすりかわってしまう。
理性って
考えてるより簡単に飛んじゃうものなのかな…

 

また、
この授業の2週間前と、
実験授業の2日間、
それと2週間後に
国語と算数のテストをしたそうです。

その結果、
「優秀」と評価されている時に
最高得点を示し、
「劣っている」と評価されている時は
最低の得点を示しました。

このことから
「優秀だ」という周りの評価は
そのコに自信を与え、
能力をいっぱいまで引き出し
「劣っている」という扱いをうけていると
自信もなくし、萎縮してしまい
本来もっているはずの能力も
ひそめさせてしまう、
ということが言えるのではないでしょうか。

また、おもしろいことに
2週間後のテストでは
「優秀だ」と評価されていた時の
高得点をキープしていたそうです。

これは
「差別意識を乗り越えることの大切さを学んだ」
という意識が
子ども達に自信を与えたのだろう、
といわれているようです。


エリオット先生は
同じような事を
オトナに向けても
実施しました。

刑務所の職員を対象にしたものを
見たのですが
オトナでも、まったく同じです。
こんな変な理屈
“目の色で人間の価値が決まる’なんて理屈、
オトナ相手に通じないでしょ、
と思いましたが
もう、全く同じ。

優秀と言われた方は
まぁ、憎たらしいくらい
まるで“鬼の首でもとったように”
相手を見下します、
嘲笑の笑いなんて浮かべたりしながら。

逆に、
劣っていると言われた方は
どんどんどんどん、
卑屈になっていきます。

オトナでも、です。
どう考えても
理屈にあわないだろう、
たかが“目の色で”です。



差別はいじめを生みます。
差別もいじめも
もっともっといろんな要因が
からんでいるのでしょう。
でも、
ここからだけでも何か
ヒントのようなもの
あるんじゃないかな、と思います。

こういう実験は
危険も含んでいるでしょうし、
賛否両論。
だれでもどこでもいつでも
できるってもんじゃないでしょう。

でも、こういうことを事実として
子ども達に提供する。
そして、ここから
どういうことが出てくるのか
考えさせる。
あたしは、それだけでも
すごーく、意味があるんじゃないかなって
思います。




++++++++
おまけ♪

ヒュウガのベッドは
ぬいぐるみでいっぱーい!
オキニイリはPooh
Hyuga with Pooh



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コメント
この記事へのコメント
すごいですね!!
勉強になります(ホントに)
人とのつながりが希薄な時代だからこそ、
こういうことを子どもたちに教えていくことが
大切なのかもしれないですね。
また来ます(*^_^*)
2008/07/08(Tue) 17:25 | URL  | まりごま #-[ 編集]
++まりごまさんへ
こんなにだらだら長いの、
読んでくれてありがとー♪
ほんと、文章にまとめるの下手だなぁと
いっつも思います。
簡潔にできないんだよねぇ…

コドモにね
何を、どう教えていくかって
もっとちゃんと考えないといけないんじゃないかと思います。
たぶん、昔は通用していたやり方では
今は伝わらないんじゃないかな、と。

最近、書くだけでなんとなくいっぱいで
みなさんのとこ、
読むばっかりでごめんなさい!!
でも、また遊びにいきます〜〜
2008/07/09(Wed) 09:35 | URL  | ねこまた #bloHuDew[ 編集]
この番組、子どもたちと見ました〜
感想はお互い胸の中にしまってありますが、
(私は思うことがイッパイで、言葉に変換するのが難しかったし)
りょぉちんもあやりんも
何かを感じてくれたと思います。
このシリーズ、スキです(^ー^)

2008/07/09(Wed) 10:21 | URL  | ともりん@ケータイ #.fNwyHCg[ 編集]
追伸
「集団」であることも、関係してるのかな?
ねこまたさん的にはどう感じますか?
2008/07/09(Wed) 10:25 | URL  | ともりん@ケータイ #.fNwyHCg[ 編集]
++ともりんさんへ
あたしは見てないんですよ、テレビ…
その番組、みてみたいんだけど
DVDとかあるのかな??

これを見て
人間ってこういうとこ、みんなあるんだ
ってことを、まずはきちんと目を向けるって
実は大切なんじゃないかなと思ってるんだけど…

「集団」のチカラは絶対だと思います。
一人ならしないことも
集団だと簡単にできちゃうし…
もし、先生と
青い目と茶色い目の子が一人ずつ、
だったら、どうだったろう…
あたしの勝手な考えだけど
この場合は個々の性質がかなり関わってきそう。
それに集団の時よりは
差別意識がエスカレートしにくいんじゃないかな…
それでも、先生が容赦しなければ
同じような方向にいく気がします。
ともりんさんはどう思う?
2008/07/09(Wed) 13:16 | URL  | ねこまた #bloHuDew[ 編集]
私も、集団のチカラは大きいと感じます。

>もし、先生と
青い目と茶色い目の子が一人ずつ、
だったら、どうだったろう…

ひとりの子がもし、絶対の自信を持って
差別意識に対して異議を唱え続けることが出来たとしたら
ひょっとして、先生のチカラをも覆すことができるかもしれない・・
な〜んて、思いました。
(あくまでも、対個人で下線部が完全なら。
そして、あくまでも憶測だけどね)
誰でも陥るちょっとしたココロの隙なのかも。
(無意識だからこその?)
だからこそ、ひとりひとりの意識が大切なのかなぁって。

P.S.
Bowieは、なんて言ってるの?
何故、笑っているの?
ねこまたさん、通訳してくださいっ!!
2008/07/10(Thu) 08:52 | URL  | ともりん #.fNwyHCg[ 編集]
++ともりんさんへ
この場合、コドモがまだ3年生だしねー
相手が、
その存在が今と違って
格段に大きかった“先生”だしね、
変だへんだと思ってても
それを貫くのには
すごいパワーがいるよね。
そのパワーがこころのありよう、なんだろうけど…

自分では絶対だと思ってる
自分の意識でさえも
もろい部分があるんだってことを
知ってる事っておっきいんじゃないかなぁ

うふふ、あのね、
実は何を言ってるか
何を歌ってるか
あたしだってぜんぜんわかんないんだよ〜ん♪
ただね、
あの人達は本人じゃないんだよー
Bowieのまねをしてるの、
それがシンジラレナイくらい
そっくり〜〜〜
たぶん歌詞もふざけてるんだろーなー
いや、もう
すっごい似てるんですよぅ、
ある意味、すごい侮辱、だと思うんだけどね〜
それでも笑えて笑えて…
2008/07/10(Thu) 11:16 | URL  | ねこまた #bloHuDew[ 編集]
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